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What I Say Fly Fishing よもやま話 write 2003〜 此処に記述するお話は、私のFly Fishingを通しての体験談です。長い間、人と、あちこちに出かけていると いろんなことがあります。時に、FLYFISHINGの技術的な話、又、あるときは その旅先でのエピソード あるいは、魚の不思議な行動、我々の想像を超えた自然界のさまざまな出来事などなど、何分稚拙な 文章で、どこまでご理解いただき、その真意や、臨場感が伝わるか解りませんが、両手に余るほどの これからのお話に時々興味を持っていただき、目を通してくだされば光栄です。 -------------------------------------------------------------------------------- ニンフ フィッシング の 怪 write 8.Oct 2003 -------------------------------------------------------------------------------- まだ、フライフィッシングを始めて、1年足らずの T 君と 尾瀬の山の東のほうから、片品川の上流部に流入する、 根羽沢というところに行きました。大清水の売店近くの駐車場に車を止め、ゲートをくぐり、徒歩で20分ほど行った 所の小さな吊橋のたもとから入渓。6月の水は増水気味で、ドライの反応は悪く、ニンフで釣る事になりました。 しかし、T 君は ニンフの釣りの経験が無く、困惑していたので、赤のマーカーを付けてあげ、その下の先の 60cm位のところにハーズイャーのオリーブの#12番をセットし、大体の攻め方を教えたところ、すぐに石裏の淀み で20cm程の岩魚をHITさせました。 「やるじゃない!」 私が言うと、彼はご機嫌でした。 では、川を遠巻きにして、50mくらいずつ分けて狙おうと言うと,彼は私を尻目に上流に急いで上がっていきました。 独り、静かな時間、、、ゆっくりと自然と対峙できる喜びに浸った想いもつかの間にそれは破られて 「HIT! HIT! 大きい」 上流から、あらん限りの彼の叫びが聞こえました。 私が駆け寄りながら 「大事に!ばらすなよ。無理に寄せるなよ!」 やはりこちらも川音に声がかき消されないように大きな声を張り上げました。 と、まもなく彼が川に立ち込んで 「目印が、、、目印が、、、」と 叫ぶので 私は.彼にあと5m位のところまで近寄りながら 「マーカー?目印がどうした?」と聞いたところ 彼は、殆ど対岸の林の方に後ろ向きになったままこれまた、大きな声で 「目印が林の中を走ってる!」と言いました。 驚いて近づいて見ると、そこには曲がったRODに手をかけ、懸命にこらえてる彼と 林の中で上下に揺れてる、赤い発砲スチロールのマーカー。 さらに、林に分け入ってその正体を確かめると、松の樹の根方に、ニンフをわき腹に刺してもがいている ネズミの姿。 それは後日、水にも潜る川ネズミと言うものだと解ったが、それにしても、、、 しかも、体の横にニンフを引っ掛けたまま、走り逃げたのだから、その引きたるは 本人以外知る由も無い。 何だか、そのやり取りが羨ましく思えた一日だった。 -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- 俺っちの息子? write 11.Oct 2003 -------------------------------------------------------------------------------- 前述、 まだ、若い頃のフライなど殆どしている人のいない頃の話。もちろん、モラル等の観点から見たとき、次に 記述する話は、反感を持つ方もいらっしゃるでしょうが、それはそれで私の、まだ茶目っ気のあった時代のことと いう事でご容赦いただき、それでも耐えられない正義感をお持ちの方は一蹴して次のページにでもお行き下さい。 信州の南端に、5月の連休の頃に解禁する川があり、偶然にその時期に遭遇して釣りをする事になった。 川を見ると、いかにも地元の子やおじさんといった人たちが、えさ竿で右往左往していた。 これまた、地元らしき青年に声をかけると、何でも里帰りや、子供たちのことを考えてこの頃に解禁するらしいと いう答えだったが定かではない。 「鑑札は?」と聞くと、持ってる人もいるけど大半は無礼講だそうで、買ったことも無いなんて答えが返ってきた。 そんな話をしながら道路越しの家に眼をやると、○山○兵衛と言う大きな立派な表札が眼に入ってきたので 「じゃ、僕もあの○山○兵衛さんの里帰り息子ということで釣りでもしますか」 と青年に言うと 「そうしなよ、監視員は来ないし僕もフライの釣りを見たいから」 とせかされ 一緒に川を釣り上がりました。 小さなアマゴが何回かフライにアタックしただけでへぼな私に釣れるはずもなく、青年もどこかへ行ってしまい 川を釣り登って20分位たった頃、突然に老人が私の前にはだかり 「鑑札あるかね?」ときた。もちろん漁協の監視員である。 貧乏釣り師の私は、前売りを買わなかったことを後悔しながらも、青年との話を思い出し{どうにでもなれ}いう 気持ちで 「僕は○山○兵衛の、名古屋から里帰りの息子だよ」と出まかせを言ったところ、その老人は、顔を皺くちゃにして 嬉しそうに笑いながら言いました。 「な〜に、お前さん 俺っちの息子かい!」 な、何と言う偶然、あの表札の家の?過疎村ならではの世間の狭さと言うか、それとも、いかさまをしようとした 私への天誅なのか、しまったと思い少し青ざめながら鑑札代を差し出すと 老人は前売りの代金しか受け取らず、それどころか 「家でお茶でも飲んで行け」と強く促され、渋々と先ほど見た家の玄関を入ったのである。 部屋の中では、大勢の親戚縁者が酒宴の最中で、入るや否やおばさんの一人が老人に向かって 「誰か、お客さんかえ?」と言うと すかさず、老人が 「何言ってるだ、名古屋の息子が帰って来ただが」 と平気で応え、私がびっくりして、しかしバツ悪そうにしてると 今度は別のおばさんが 「まあ、立派な息子だこと。じい様、小遣いはたんまりいただいたか?」 ときた。 そのあと老人が一部始終を話し終えると、皆けらけらと笑いこけたりしながらも よそ者の私に屈託なく食事や酒を振舞ってくれ、色々な話を2時間もしたのである。 内心、酒の肴にされた気分がしなかったわけでもなかったが「嘘からまこと」のようなひととき。 酒を酌み交わし、釣りどころではなくなったが今でも忘れもしない山里の人たちの人情味溢れる顔、声。 { 袖擦り合うも多少の縁、、、} が 沢山の縁に変わった一日だった。 -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- 目には目を、口には口を! write 22.Oct 2003 -------------------------------------------------------------------------------- もう、13年ほど昔の話になるが。どんな釣りでもこなしてしまう3人の30代半(なか)ばの大人たちがいた。 海、渓流、湖すべての釣りに巧みで、大物を釣った話はいつも聞かされていた。 しかし、そんな彼等もフライフィッシングだけはしたこともなく、私に白刃の矢を当てて相談を持ちかけてきた。 さっそく、皆で量販店でラインもリールも付いた#3番の安価なセットを購入。 一週間後には私が新潟の渓流でデビューさせることを約束し、その前にキャステイング練習でもしようと こちらが言うと、異口同音、大人たちは 「大丈夫!こんなもんはすぐできる、自分たちでうまくなっておく」との一言で一蹴。 私も、何をやってもそれなりに卒なくこなす連中なのでそれ以上は言わず、結局RODを選んであげただけで その場を別れた。 一週間後の日曜日。予定通り新潟の山間部の渓流に向かい、小さな温泉のすぐ上流の橋のたもとに車を止めた。 しかし、車から降りて支度を始めると私は驚いた。 3人とも真新しいままのパッケージからロッドを出したのである。 練習をしていない事を咎めても帰ってくる答えは「大丈夫」だけ。相変わらず口だけは達者なのである。 とりあえず、リーダーとフライをセットして河原に降りた。 そこで、私がロッドを振るように言うとそこに見た光景は、まるでリボン体操のリボンが丸い円を描いて、水面と 後ろの河原を叩いて前後するだけの釣りには使えないキャストだった。 正直なところ、案内人の私はむっとしたが、此処は少しこらえて順番にキャステイングを教えながら実戦と相成った。 最初に、M氏に付き添ってロッドを振らせたがラインは左手に、ロッドは右手でという感じで、私が何度言っても 右手の指にラインを挟んではくれなかった。 しかし、左右の手を前に突き出して開いた格好が、まるでペンギンのようであまりに可笑しかったし 見ていて楽しいので、私もそのままの状態でフライを流すポイントを教えながら渓流を歩いた。 おぼつかないキャストの何度目かに、ここぞという流れを指で示した。 すぐに25cm位の岩魚が出たが案の定合わせる事は出来なかった。 でも,やはり口だけは達者で 「今度は決めるぜ!」なんてのたまう始末。 私は心の中で、今度があるならそんな楽なものはない。放っておけば、今日は魚すら出すことさえ出来るわけが ないと思いながらもやはり釣らせたくて、再び魚のいるところを指差してしまった。 #10番のパラダンがやや強い流れを浮かび、瀬尻に来たとき尺近い岩魚が顔を出した。 私は。思わず「出た!」と声をあげた。 彼もその声に反射的に合わせた。 岩魚は、見事にフッキングした。 しかし、彼はペンギンの両手のように左右に開いたままの手で 「このあと、どうするんだ、どうやって寄せるの?」と聞いてきた。 この、瞬間すべての主導権は私にあると咄嗟に思ったとき(練習もしなかった。言うことも聞かなかった仇)を 此処で、取ろうと瞬時に考えた。 そして、次に私の口をついて出た一声は 「ラインを口で挟んで寄せるんだ!」の一言。 彼はためらわずにガイド近くのラインに口元を寄せ 「フライは面倒なんだなと」言いながらも結局はラインを口で挟んだ。 そして、3回ほど咥え直しながら、みごとに岸に魚を寄せた。 私は、そのライン捌(さば)きがこっけいなので笑いたいのを抑えながらも、素早い取り込みに感動し 思わず拍手をしてしまった。 彼はと言うと、ランディングが大変だったのも忘れ、騒ぎに駆け寄った仲間とその見事な岩魚に興奮し フライフィッシングが釣れる釣りであることに感動している様子だった。 やがて、少し気が落ち着いた頃 「本当に、口で寄せるの?」と聞いてきたので 正直に実際のやり方を教えたところ、みんな真剣な顔つきで素直に聞いてくれた。 私は、少し意地悪だったかなと思いながらも、帰りの車中でずうっとあのコケティッシユな光景を思い浮かべながら ほくそえんでいた。 そして、私にイッパイ食わされた彼もまた、自分の仕草を思い出しては 「やられた」と言いながら声をあげて何度も笑った。 -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- カワガラス write 7.Nov 2003 -------------------------------------------------------------------------------- かれこれ、もう20年も前の事である。そのときの相棒のSとは東北や、北陸、関東のあちこちを釣り歩いていたが どうしてもふたりに共通の、ある川への憧憬みたいなものが常にあった。それは南アルプスの仙丈ケ岳を源流に 持つ、三峰川を釣る事だった。 雪しろも終わったと思える頃、どちらからともなく長谷村に行く事を切り出して向かった。 諏訪湖を過ぎ杖突峠を登り下り終えた所の高遠町を、三峰川沿いに上っていくと美和湖を過ぎてまもなく 左から小黒川が合流するあたりに出たときだった。 程よい水量の流れと残雪を頂いた山、そして眩いばかりの新緑の川岸。 まだしばらくは遠いところにある三峰の上流よりは、今回は小黒をやろうということになった。 アルプスのお花畑に登山する人たちの中継所になっているらしき「仙流荘」の前を通り過ぎると まもなく右手から大きな堰堤が見える支流が眼に入った。 まずはそこに降り立って、堰堤下の合流地点にエルクヘァーカディスの#12番を投入すると すぐに魚体がフライをくわえた。 フライは5xのリーダーに直結してあったが銀色の魚体は深瀬に入ったきりなかなか寄らない。 10分近くもやり取りした挙句ようやくネットに収まったのは見事な体躯の35cmほどのアマゴだった。 相棒のSは、その光景に大いに期待を抱き、小黒の本流をそそくさと遡っていった。 まもなく、これまた尺近いアマゴを釣り上げてとてもご機嫌な様子だったので、今度は少し上流に行こうと 私が言い、車で戸台川の合流近くにある山小屋の橋本山荘の橋のたもとに車を止めて、その少し下流の 取水近くまで林道を徒歩で下ってから入渓した。 Sは取水のたまりに興味を示し、少し粘ってみるからと言うので、私はゆっくりと、しかし彼を待つ意味で 丁寧に、魚が出るわけがないということが解っているポイントさへ 焦らずのんびりと楽しむようにループを作って遊んでいた。 川原から真横に対岸を狙ってロッドを振っていたときである。 殆ど、自分の眼の高さを茶褐色の中型の鳥が横切った。 すぐにそれがカワガラスと解った。 私が渓流の釣りで逢う鳥は、いや、私の狭い知識の範囲では河原を彷徨する「セグロセキレイ」「キセキレイ」 「カワラヒワ」「ミソサザイ」そして、このカワガラスくらいなものしか知らない。 そのカワガラスが私の顔の右手から視線に入り左眼のあたりから消えて間もなくのことである。 その鳥が私の視野の中で、左側に頭を向けたまま、尻からバックしてもがいて戻っていく。 鳥が後ろ向きに飛んでる。 何たる光景!理解するにはあまりにも短い瞬間の光景。 そのとたんに下流から、Sの声がした。 「わー わー !」 それだけの言葉だけを発しながら、ロッドをあおっている。 これですべては理解できた。 カワガラスを釣ったのである。 川岸に疲れ果てて着水したカワガラスの嘴からフライを外し、離して上げるとゆっくりと対岸の草の中に もぐっていった。 Sは興奮冷めやらぬ様子で、フライが着水寸前にカワガラスにひったくられたことをひきりにまくしたてた。 私も、これがきっかけでカワガラスをまじまじと見ることが出来たし、触れることも出来たのである。 いつも釣り歩きで眼にするもので、ある意味で漠然としていたもののひとつの「カワガラス」を 誰よりもよく知ったような満足感がこみ上げていた。 ただ、跳ね上がった尾の方から尻をからげてバックしていく「カワガラス」のこっけいな姿は今も眼に 焼きついたまま消えない。 -------------------------------------------------------------------------------- ニンフ フィッシング の 怪 番外編 write 14.Dec 2003 -------------------------------------------------------------------------------- 2003年の初夏の、富山のまだ、雪しろのやまない川でDLYFLYフィッシングで苦戦を強いられた日に、それでも 新人のS君には何とか釣らせたくてあちらこちらを彷徨して、里川のひとつで25cm位のヤマメはいくつか釣らせる ことが出来た。しかし、時間もまだ余裕があったし、人間というのはまあまあのサイズが釣れても、まだ欲が 彷彿してくるらしく、今度は折角来たのだから、もっと大きいのが釣りたいとのたまう始末である。 もっとも、時間的には余裕があったので幾つかの田んぼの用水路に行ってみた。 しかし、5月の水路はとうとうと水を湛え、矢のような速い流れを見せていた。 ドライフライでは到底、深い水路の底から魚を浮かび上がらせることは不可能である。 これは、ニンフしかない。それもかなり重い錘を抱かせてゆっくりと川底を流す他にないと思えた。 S君にニンフの所持をただすと、作ったことも使ったこともないの一言。 でも、いかにも大物のヤマメがいそうな水路の前で、流れを恨めしそうに見つめながら 私に、たたみ込むように言った。 「一渓さんなら何か方法があるはず?」 簡単に釣る方法はあったし、しかも、運のいいことに本流のWET用にと開発したばかりの#4番のWーHANDロッ ド が彼の手にあった。 私は、少しもったいぶって彼に言った。 「W−HANDにラインを通し、マーカーを付けて」 さらに、それが出来たのを見計らって、この秘策はさもいろんな釣りをしてきた年の功を重んじさせるように また一言付け足した。 「何でもいいから、自分の持ってる#12番くらいのドライフライのすべてのマテリアルを毟って!」 S君は、訳がわからないままに一生懸命、ラインカッターでハックルやボディ材を毟って、フライを裸にした。 フライの穴にティペットを通し、マーカーを60cm位のところにセットしたところで、今度はウエィト作りである。 またも、キャリァをひけらかすチャンスとばかりの状態に私は、過去逆境に強い釣りをしてきた昔に 感謝しながら、足元から小指大の石を拾いティペットでさなぎを作るように絡めて縛り、フックから 30cm位のところに結びつけた。あとは、ニンフの代わりの餌である。 私は、S君に田んぼの端の藁が堆積している場所を指差して棒を一本渡し、ミミズを探すように促した。 まもなく、自慢げに持ってきたミミズを針に刺させて、水路が交差するところに、W−HANDでアンダーハンドから 仕掛けを投ずるように言った。 一投目から流れる暇もなく、尺ヤマメのご到来である。 彼は満面に笑みを浮かべ、ミミズを探しに行ったり、釣ったりで一時間ほどが過ぎた。 その時、私は彼に一言。 この至福の状態を帰ったら仲間になんと言おうかと尋ねた。 彼は、ニンフと言うことで自慢話を構築する気であった。 それでは、そういうことでと秘密は約束化された。 その翌週、縁があって今度はチーコのFF日記でおなじみの秋間氏とその兄と富山に出かけることになった。 前日、それを聞いたS君はいても立ってもいられず同行を願い出てきた。 チーコ氏はS君がニンフで入れ食いをやったと思ってるので、ニンフを沢山用意したみたいである。 結局、S君も含めた4人で行くことになり、最初里川で25cm位のヤマメをドライで10匹程釣り充分に 堪能したあと、お決まりの用水路で仕上げという事になった。 チーコ氏は、海から500mくらいの、その場所を見たとき、最初半信半疑であったが、S君が釣れたということが 自信につながっていたみたいで、すぐにニンフを投下。 1投目から27cmのヤマメ。 その兄君も同じようにHIT。 S君を眼で追うと、なんと田んぼの端にかがんでる。 しかし、ミミズが見つからないらしく、今度は皆のところに駆け寄り、私のほうに向かって一言! 「俺もニンフやりたい、一度もやったことがないから!」 その一言は、すぐにチーコ氏に気づかれた。 「あれ、先週はニンフで入れ食いしたのじゃなかったの?」 何という軽薄なをことを言う奴だろう。 かばい続けた私の立場はどうなるのだろう。そしてプライドは、、、、 私は冷たく言い放ってしまった。 「そうだよ、先週あんなに良い思いをしたのだから今日は我慢したら」 さらに付け足すように 「S流のニンフは今日はやらないのかい!」と その言葉が終わらないうちに、彼は田んぼの方に走り、再び藁の中を棒で突付きだした。 -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- 腹の中を見たい? (診たい) write 11.Jan 2004 -------------------------------------------------------------------------------- もう、7年程前の春のことである。群馬県の烏川の中流部のあたりでうららかな陽射しを浴びながら、とても気分良く FFに浸っていた日のことである。水量も落ち着いてあちこちから、シロハラや、チラカゲロウがハッチしている。私は 14番の赤マダラカゲロウのパラダンしかなかったのでそれで釣り上がって見た。それでも入れ食い状態で、23cm 前後のヤマメが次から次へと釣れた。そんなときである。土手に停まった車の中から、いかにもフライマンとわかる 2人の青年が駈け寄ってきた。背中にはランディングネットが揺れているのが腕越しに見える。 ベストはいっぱいに膨れ、まるで戦場に向かう兵士のようで、とても重そうだ。 あれでは、フットワークが悪そうだなと思った。というのも、私のベストには、フロータンとがひとつ、あとは ラインカッターに、5cm×7cm×2cmのフライボックスにドライが20本ほどにニンフが3本、ウエットが2本。 そして、ティペットは使わないので、12フィート5Xのリーダーが3枚程、いつものスタイルである。 だから、ポケットだらけのフライベストばかりしか、世に出回っていないことに少し憤慨している。 機能的で最低限のものが収まればFFは充分に成立する筈であるといつも思ってるから尚更である。 ときに、崖をあがったり、藪を歩いたり、林道を走ったりのこともあるので体力のない私は少しでも身の回りを 軽くしたいのが本音である。 さて、話を元に戻そう。 青年たちが近づいてきて、私が釣ったヤマメを離そうとしたときである。 そのうちの一人が、、、 「すいません、お腹の中見せてください?」ときた。 私は、言ってることはわかってはいたが、少しひねくれて答えた。 「いやだよ、俺の腹なんか。だいいち、診なくてもいいだろ。どうせ真っ黒なんだから」と言ってみた。 が、すかさず 「いえ、お宅の腹じゃないですよ!そのヤマメのお腹の中ですよ。」 と言いながら、手にはすでにストマックポンプが用意されていた。 私は、そんな物は一度も使ったことがないので、また意地悪を言ってしまった。 「何だ、君たちは学者さんなんだ。何か研究してるの?それで魚のお腹を見たらどうなるの?」 彼は、学者と言われたことでばつ悪そうだったが、今日は釣れてないらしく 少し、悲壮感のただよった面持ちでこう付け加えた。 「いえ、このポンプで胃の内容物を見れば今日は何の虫を捕食してるかすぐわかるんです。」 その答えに私はまた余計なことを言い足した。 「えーっ、今日は私のフライで入れ食いなのに、それでも調べたらもっと釣れるんだ?」 さらに、 「それを使うときの最初の1匹はどうするの?」と言ってしまった。 まだ、春浅い日の魚体はサイズの割りに痩せていて、せっかく食べた胃の中身を抜かれてしまうのは 可愛そうだと思うし、キャッチアンドリリースなんて唱えてる割にはフライフィッシャーがこんなことを 正当化してるのは少し疑問が残るが、彼が あまりに真剣だったので魚を託した。 そして、ストマックポンプのジュジューッという音を耳に残しながら、再び釣りあがった。 脳裏で、、{まあ〜いいか。私の胃の中が抜かれた訳でもないし、それに今日はまだ昼飯前だし、、、、} と思った。 でも、ステーキのおいしいのを食べたあとすぐに抜かれたのじゃいやだななんてとも考えたりした。 さらに、今頃あのヤマメは命がけで捕食したご馳走を、消化してエネルギーになる前に 抜かれたのだろうとも思った。 科学するFFもいいけど、私は感と想像、技術、そして努力で立ち向かう方が好きだ。 魚に負けるときもある。利口な魚に敬意をはらった日も幾多となくある。 野性の魚には、自分も野性に帰って戦いたい、、、、 丸腰のヤマメに科学で立ち向かうのは、刀しか持っていない侍たちに機関銃を向けるようなもの、、、 何だか、次から次へと変な理屈が浮かんでしまう後味の悪さにすぐに、帰路に着いた。 -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- カモフラージュの脅威 write 21.March 2004 -------------------------------------------------------------------------------- フライフィッシングをやりたくて新しく仲間入りしてきたS君は、自衛隊にいた経験をもった青年である。 しかし、解禁まではまだ3ヶ月もあったので、待ちどうしい春に想いを馳せての釣り談義をするだけの毎日が 続いた。S君も少しは経験があるのだが我流に限界を感じて我が門扉を開いたとのことだった。 素朴でなかなかの人柄ですぐに皆とうちとけた。 ただし、あることを除けばの話である。そのあることとは、自衛隊時代の話をするときと、普段の服装にあった。 野営で蛇を食べた話。遭難救助の一昼夜の行軍の話。そして、会うたびに迷彩色のジャンバーやズボン。 何より驚いたのは、趣味のカメラに使用する3脚の足のすべてがカモフラージュのテーピングが施されてあったこと。 もちろん帽子もそうである。 そんな中で、仲間の誰もが、自衛官であった彼に職業の持つ権威を感じていた。 誰かが言った。 「レンジャーだったらしい」 他のひとりも言った。 「戦車隊だったんだって」 結局、自衛隊で何をしてたのかは本人には聞かずじまいのまま、渓流のシーズンが始まった。 そして、S君と3人で出かける日がとうとうやってきた。 もう一人のM君は、フラットな里の川じゃなめられるから、少し山岳渓流の様相をしているところにしましょうと 言い出した。 それには私も同意した。 心強い、元自衛官がいる。 いや、釣りが楽だと思われては困る。 カモフラージュの畏怖と脅威が二人をすっかり別人にしてしまった。 自分が一緒に沢を登れるかどうか心配を抱いたままに、まだ雪渓の残る川へと足を伸ばした。 皆で交互にポイントを攻めながら歩いた。 寒い日だったが、弱音を言ったら落伍者である。魚も釣れなかった。活性の低い山の川なら当然である。 M君が我慢比べから抜け出した。 「もう上がろう」 私も同意した。するとS君が言った。 「1匹くらい釣りましょうよ」 促されて1時間が過ぎ、やっと2匹の岩魚が釣れたころには我々は陽の落ちた暗い谷にいた。 とにかく林道に上がらなくてはと草付きの崖をM君と私は同時に登った。 枯れ草の上に雪があり、めくれた草の中には黒い土が見えていた。 滑りながら、肘も膝もどろどろになってよじ登った。 林道を確認して安堵の思いで途中の平らな場所で小休止した。 すぐに下から声がした。 S君が崖にとりつけずに手を伸ばしてる。 私は這いつくばって手を差しのべながら聞いた。 「ねえ、自衛隊で何してたの?」 彼は、口もごりながら答えた。 「衛生兵!」 カモフラージュへの勝手な妄想は吹き飛んだ。 一気に引き上げた。 そして、自分たちが勝手に想像を膨らましていたことに笑ってしまった。 このあと、夏の山形でアブとスズメバチに襲われたがS君の手当てと機敏な判断で大事に至らなかった ことがあった。 -------------------------------------------------------------------------------- ------------------------------------------- 眼ん玉飛び出たなぁ〜 write 18.June 2004 -------------------------------------------------------------------------------- もうだいぶ前の話になるが、2人の新人さんと新潟県の魚沼地方に釣りに行ったときの話しである。魚野川の支流の 登川というところの、開豁な河原を釣りあがってのレッスンであった。 私を真ん中に歩きながら、ポイントや流し方を説明し、長い瀬はロングキャストが有効なことなど言いながら、flyを 投げたときのことである。そのとき、私の顔は左の相手を見ていたが明らかにバシャという大きな音は耳に届いた。 右の彼が出たと叫んだときは、すでにフッキングしていた。しかも、尺上の岩魚であり新人の2人を驚かせるには 充分であった。 右の I が云った。 「眼ん玉飛び出たなぁ〜 もう! 見てないよ。見ないで釣ったよ!」 なかなか好男子の I の クリッとした眼は更に大きくなって本当に飛び出て見えるほどだった。 その後、何匹か釣って見せたが、あまり簡単に岩魚を釣るので、そのうちこんな質問が返ってきた。 「岩魚は何科ですか?」 私は、ぬるぬるしたその魚を彼の手に渡しながら即座に答えた。 「ドジョウ科」 釣りが新人の2人は妙に納得して、ヤマメや虹鱒の方が凄いのだと思い込んだみたいである。 さて、実際に2人に釣りをしていただくことになったが、このような広い場所ではなかなか難しいので ライン処理や流し方、アプローチを実践してもらい、今度は三国川の上流の下津川という支流に移動した。 2人を上下に分けて、私は行ったり来たりしながらアドバイスをして下の1人が22cm位の岩魚を釣ったので 今度は上流の I の様子を見に林道を上がった。 まもなく河原近くの林道にしゃがんでる I を発見。 彼は、私に気づくこともなく一人で呟いていた。 そしてその呟きは私にはっきりと聞こえてきた。 「イワナちゃん、、、ごめんよ。ごめんよ。」 後で聞いてみたら、HITした瞬間に勢いあまって川から後ろの林道を越えて岩に叩きつけてしまったとのこと。 I にとって初の渓流魚はとんだ(飛んだ)顛末を迎えたものである。 そして、左手は飛び出てしまった左目を元に戻そうとして 「ごめんよ、、ごめんよと」謝りながら押している。 近づいた私に気づいた彼にどうしたか?と問うと 「眼ん玉飛び出たなぁ、、もう」 である。 初HITにはいろいろなことが付きまとうものである。 逝ったイワナには可愛そうだが、いつまでもしょげていないように云って再び釣りに復帰した。 後日、シーズンオフに釣りがうまくなったであろう彼等と川場フィッシングプラザで会ったとき 家で食べるのか、何匹かの虹鱒とイワナを管理等の水道のところでさばいていた。 そして、イワナは傍にいる他人にみんなあげていた。 私は、聞いた。 「立派なイワナじゃないの!どうして要らないの?」 と問うと、、、、、 2人の口からすかさず返ってきた答えが 「どじょう科は要りません」 -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- 視力 4.0? write 15.Nov 2004 -------------------------------------------------------------------------------- もう、何年も前のことであるが、岩手県の殆ど青森近いところにある馬淵川で釣ったときの話である。 FFのお陰で色々な場所で様々な人と出会い、風景や言葉の違いなどを感じるたびにあらためて日本の 広さを思うのである。馬淵川の上流部の田園の中をまっすぐ流れてる場所に入渓したときのことである。 川に向かって左に田んぼの中に折れる道の右は小高い丘になっていて、牧場(まきば)という名の農園である。 そしてその入り口の道沿いには、これまた、レストラン「まきば」と言うのがあってその隣は、地もとの人たちの 飲み処であり、随一の娯楽の場所なのだろうか?サパークラブ「まきば」とあった。少しこっけいでもあるが 親しみを感じながら川に向かった。 異国の風景に、、、、武田鉄也の「思えば遠くへ来たもんだ」とか言う唄が思い出された。 川は幅4m位の平坦な流れだった。途中、九戸で高速道を降りてきてから、深く太い馬淵川の流れを ずーっと道沿いに見てきたので、安堵の思いがこみ上げた。 一投目から期待に応えてくれて、いや期待以上なのだろう尺近いやまめが釣れた。 同行の3人のうち2人はそれを見るなり、有無を言わずに川沿いの農道を車で上流に砂埃を残して消えた。 もちろん、1ヶ所で4人で釣るわけにはいかない。 良型を見たとたん、少し離れた場所で自分たちの釣りがすぐにしたくなったのだろう。 残ったW氏と交代で釣りあがっていくと、まもなく木で出来た小さな橋に出た。 そこの右手に小さな小屋があり、そこからニコニコ顔で小柄で細身の老人が出て来て、釣れるかと聞いてきた。 私は正直に感動を伝え、持っていたおやつのお菓子と飲み物を取り出してたわいのない話を20分ほど交わした。 そのとき、その人の朴訥で親しみのある感じと顔つきは、昔TVで見たケニヤだかのニカウさんそっくりだった。 さよならを告げて小屋を背に釣りあがった。 ところが彼は橋の上で私たちの釣りを後ろから見ていた。 遠く離れないうちに、まだ彼の視界にあるうちに何とか1匹釣って応えようという気持ちが湧いてきた。 あせりなのか、魚が出ない。 50mは離れてしまっただろうか。 やっと、釣れた1匹にRODを曲げられながら振り返ると彼が手を叩いた。 とてもすがすがしい気持ちになった。同行のW氏も釣った。 そして、もうとうに300mは離れた頃に私が、また1匹釣って振り返ると彼は手を上げた。 W氏に「まだ見てるよ」と言ったら振り返りざまに彼も驚いた。 彼の小屋は炭焼き小屋だった。白い煙が田園の中にたなびいて、丸太の組まれた小さな橋の上に いつまでも立ってみている彼、、県外の、それも岩手から遠く離れた人間との会話などはめったにする事のない人生 が伺われた。もうこちらからは点の状態でしか見えないのに、ずーっとすべてを見られてるようだった。 それは、けっして釣りだけではない。自分の人生さえも見られてるようでもある。今後の生き様について 純朴な人生を送りたい、、このせち辛い世ではあるが出来る限り美しく天寿を全うしたいと自分に言い聞かせてしまう ような思いを後ろから与えられ続けたのである。 どこまでもまっすぐで平坦な流れ、いつまでも立ってみている彼を意識して振り返るのも心苦しい。 しかも、確認はうつろである。 1kmはゆうに過ぎた頃、W氏がロッドを絞られた。私は胸の単眼鏡を取り出すと、振り返りざまに橋を見た。 老人は手を振った。 私も単眼鏡を覗いたまま何度も手を振った。 その後まもなく川は林に隠れ緩やかな曲がりになった。 こちらからも、橋からも互いの確認は出来るはずもなく、ある意味で釣りに専念できる時間を取り戻した。 昨今、TVでアフリカや各地から眼のいい人を探してきて番組を作っているのを見たとき、私の中ですぐさま思い出 されたのがこの日のことだった。 彼も、もしかした視力6.0とはいかないまでも4.0くらいはあったのではないかと思える。 素朴な暮らし。田園の中で遠くの野山に四季を感じるのどかな毎日。 橋の下の馬淵川を泳ぐ魚も、空を渡る鳥もみんな彼の中ではしっかりと見えていたのであろう。 このあともう少し上流に移動したときに、W氏が自作のバンブーロッドを初おろしして釣りたいと しきりに言っていたので、上に行った2人に合流し、更にひとつ上の橋に降ろしてもらった。 橋から、下流を見た時100mは離れていたのに私に小さなライズが見えた。 訝しがるWに指示しながらライズの下流に回らせた。そしてライズが見えたはずの場所を狙わせた。 結果、この馬淵でWのこの日最大のヤマメは見事に釣れた。 今にして思えば、はるか下流のライズを見つけた私の視力もこの頃がピークだったのかも知れない。 -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- 音読み男の釣行記 write 26.Dec 2004 -------------------------------------------------------------------------------- 釣り仲間に、しっかりとFLYにのめり込みキャスティングはぴか一、実釣もまあまあの本当にFLYオンリーのがいる。 ただ、早飲み込みな性格で、いつも自分のことだけ主張するとさっさと帰ってしまう。そして、何より面白いのは 漢字は殆ど音読みで読み上げる。新潟の苗場近くに、ニ居(ふたい)川というのがあるが彼の中では、いつまでも (にい)川である。では、夕マズメ(ゆうマズメ)のように漢字カタカナが混在したらどうだろうと言うとそれは、何故か ?(タマズメ、たまずめ)だった。ある日新人のFFマンに、「夏の本流は(たまずめ)狙いが一番だと言ったことがあ る。 彼は、いつも瀟洒な服装でいるのであるとき尋ねたときに、Z(ゼット)字や、御用達と言っていた。その後、その店 の前を二人で、偶然に通ったときに、その看板には乙字(おとじ)や洋服店とあった。 音読みは小気味いいものである。山坂道にさしかかった際には、彼はしっかりと登坂斜線(とうはんしゃせん)と 呼んでいる。お陰で、私どものお客の登坂(とさか)さんは、彼に会う度に(とうはんさん)と呼ばれていた。 もう大分に前のことだが、新緑の頃に彼を含めて3人で岩手にキャンプ釣行にいったことがある。 遠野の猿ヶ石川ではいっぱい釣れた。 地元の釣り人はとても親切だった。音読み君の彼はその親切な釣り人に つかまった。そして言われた。 「何だ!そんな雑魚を釣らなくても?今日は下流で大きいのをいっぱい放したから案内してやる」 音読み君はヤマメ、岩魚を雑魚と言われ訝しがったが、結局その地元の人に付いてった。 そこには大型のニジマスがいっぱい泳いでいた。 合流した私が、その地元の人に聞くと、ヤマメや岩魚は放さなくてもどこにでもいる。ニジマスには金銭的に 価値がある。お金のかかった魚が釣れるのだから、わざわざ案内したのだと言った。 聞いているうち、何故か私も納得した。 その後、海岸沿いの気仙川に移動してサクラますでも釣るかと言う事で3人で息巻いた。 ところが、海岸の食堂で休んでるときに散歩から帰った音読み君が言った。 サクラますの釣りはよそうと強い口調だった。 理由を聞くと、子供会と父兄たちが地引網かなんかで取ったサクラますを出店で販売してると言う。 そしてその値段が¥800円くらいからだったと継ぎ足した。 鱒寿司発祥の富山では¥6.000円は下らない代物も地方によってはずいぶん価値観が違うものだと 思うと同時に、みんなサクラます釣りの気持ちが萎えた。 結局、3人にとっては岩魚の尺上が良いと言う事で矢作川の上流に移動した。 そして、何だかんだで楽しい遠征も終わり帰路に着いた。 途中、土産を買いたいという音読み君の為に寄り道をした。 { みちのく名物 ○○ 最中 }の看板を見つけたとき音読み君が言った。 その、○○最中(さいちゅう)の店でお土産を買うと、、、、 その後、(清水の舞台)から飛び降りた気持ちで、前沢牛の定食を3人で食べ、夜半近くになってやっと栃木の インターチェンジを降り家路が近づいた頃、音読み君にもう一人の彼が言った。 小腹が空いたので 「○○さいちゅうを一つ下さい」と 音読み君は少し躊躇したが、どうせ家人へのお土産だからと 箱を開け私と彼に一つずつ差し出した。 そして音読み君もそれを口に運んだ。 と、同時に音読み君が素っ頓狂な声で言った。 「何だ!もなかじゃないか。騙された!」 私は、心の中で呟いた。 誰も騙しちゃいないよ!と -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- 窮鼠猫を噛む write 6. Jan 2005 -------------------------------------------------------------------------------- もしかして、管理エリアで体験した人もいるかもしれないが、何匹かいるところで魚を釣ったとき、その釣られた 魚を寄せていると、あちらこちらから他の魚が寄ってきて釣られた魚に体当たりしてくるのである。 真偽はわからないが、私には仲間を針からはずす為に、あるいは助ける為にとる行動のように見えてならない。 渓流では何度もあった事である。 中でも驚きは、エンテイ横の土手から見えた出来事である。 下流から仲間が釣り上がって来た時、その彼に向かってエンテイ周りのヤマメ達の数匹が彼に向かって 下流へと突進したのである。 いちばん驚いたのはキャストしようとしていた彼自身だった。 不可解な事は不可解なままにいまだに謎であるが、これは窮鼠猫を噛む話ではない。 それは、4月の渓流の出来事である。山の奥から、ある里川に移動したときの事である。 その川は、何度も通っていてこの時期、ライトケイヒルの#14のスタンダートが最も効力があることに行き着いた。 案の定、川に入るなり23cm前後が次から次へとHITした。 同行の音読み君は、全く魚にそっぽを向かれてるみたいで、しかもライトケイヒルは用意してなかった。 実は私のフライボックスにも、あと1本しか入ってない。 しかし彼は無心してきたので、少し勿体つけながら渡した。 そして、この1本で今日は遊ぶのだから決してなくさないように念を押した。 左右に分かれて、すぐに彼が魚に合わせた。 しかし、それはバレた。しかもフライは魚の口に残したまま合わせ切れしたのである。 もう、そのフライの持ち合わせがない私は、彼に少し意地悪を言い残し、あとは無視して釣りあがった。 かれこれ20分も過ぎただろうか。 振り返ると彼は合わせ切ったポイントでまだ粘っている。 私は、彼がいったい何をやってるのだろうという不可解な気持ちを抱きながら 元の場所へと戻りかけたそのときである。 彼の口から大きな声が張り上げられた。 「HIT!」 やったなと思い駈け寄ると、彼はすでに魚を寄せていた。 しかしそれはウグイだった。 だが良く見ると彼のパラシュートを咥えたウグイの口にはもう一つティペットのないフライがあった。 それは、最初に合わせ切れした私のライトケイヒルに他ならなかった。 彼に仔細を質すと、最初はヤマメで切れたと思ったが、良く見るとトロ場にいるウグイがライトケイヒルを 口にゆうゆうと泳いでいた。 そのとき、脳裏に意地と執念が浮かんだと言う。 取り戻せば、まだヤマメ釣りが出来る! それだけで何度も魚の頭上にフライを流し、とうとう釣り上げたのである。 まさに、窮鼠猫をである。 そして、そのフライを見事に奪還した彼は元気に何匹かのヤマメを釣った。 このあと私は釣りに対する気が失せてしまった。 そして、サクラの咲く川辺の石に腰掛けて、しばし呆然としていた。 フライを取られた魚を釣った彼も見事だと感じるとともに 自然の魚、自然界の釣りのなかでこんな事もあるのかとつくづく思うばかりだった。 -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- 熊との遭遇 3部作 write 13. Jan 2005 -------------------------------------------------------------------------------- 熊に遭うのはある意味でとてもありえることではないことで、出来れば遭いたくないと思いながら 川にいるのが本音であり、一人山奥などにいるときはやはりどこかで怯えながら釣りをしてるものである。 1番最初にあったのはヒグマである。中学の頃の夏休みに父の知り合いのところに遊びに行ったときである。 北海道苫小牧市の明野という場所でニジマスの養魚場を営む家だった。 他人の家の退屈な時間を救ってくれたのは、そこの一つ年上の息子だった。 二人で竹の延べ竿に、釣り糸はたこ糸、ハリスだけが辛うじてテグスのと、竹の手尻の魚を突くヤスを1本持って 自転車で二人乗りして川に出かけた。 最初は近くの流れのないような川でイトヨとバライトヨ、そしてえぞウグイを釣った。 そのうちそれも厭きて北大演習林という場所を目指した。そこの池には80cm級のニジマスが幾つも泳いでいた。 さすがにそれは狙わずに少し下がった場所で、小さな川の淵の岸辺の草むらを足でゆすって 魚を追い出しては突いた。 でも、60cm級のマスでヤスは簡単に根元から折れた。 彼は対岸の牧場の草むらから、牧草用のフォークを自慢げに調達してきてそれでやってみせた。 とんでもない迫力である。それを両手で打ち込んでいる。 2匹を突いて間もなくの時、行く手の笹原の岸にヒグマが見えた。 彼は、すべての持ち物を捨て、私を促し自転車のところまで駆けた。 そして自転車に飛び乗るとしたすら漕いだ。やや下りだが土の道であり思うようには走らない 。 そのとき私はとっさの行動で後ろの荷台から彼のペダルの外側に足を伸ばした。 二人で漕ぐペダルはさすがに良く回りトルクもスピードも充分である。 私も彼も後ろは振り返らなかった。20分ほどして林道から出たときに初めて後ろを見た。 幸い何もいなかった。 そして、その事は遊びそのものや行った場所が咎められそうで、彼も私も、家人はもちろん誰にも話さずにいた。 ここに記すことが初 めての告白になる。 次に遭遇したのは新潟県の青海川支流金山谷である。 この日は夜どうし走ってきてまだ夜が開けきらないうちにそこに着いた。 3人で車で仮眠したが、ここに初めてきた二人は逸る気持ちを抑えきれないのか 何度も空を見てるが山の谷あいの夜明けは遅い。 それでも待ちきれない二人は外に出て支度を始めてしまった。 車を止めたところのすぐ上に堰堤がありそこを巻いて上流に向かうのだが 車を降りてみると妙に臭った。 私は熊だと直感し、はやる二人を何とか説得してもう少し明るくなるまでここにいようといった。 幸いな事に堰堤で取水されて流れこそ少ない場所だが目前に何匹もの岩魚が泳いでいた。 それをかまって遊んでいるうちにかなり明るくなったのでやっと上流を目指した。 しかし、臭いはまだ感じられた。 熊じゃない、狸だろうと言う N に私は否定も肯定もしないままに 黙って釣りあがった。 この川は入り口が一つなので先行されるとまず釣りにならない。 だから、夜が明け始めるとすぐに人が来る。 この日はたまたま1番籤だったようだ。 二股の手前で釣れ出した。右は細い川で樹木が覆いかぶさる場所が多いが Nはそちらの支流にそれた。 すぐに良型を釣ったらしく嬌声が聞こえた。 再び嬌声が聞こえたが、それは最初のものとは違った。 同時に右の山を見上げると石を蹴り落としながら熊が崖を駆け登っていくのが見えた。 転んだのか?ベストを濡らして戻ってきた彼はかなり興奮していた。 やはり、朝の臭いは的中していた。 そして、信じなかった彼に私の口から自分でも押さえきれないままに出た一言だった。 「だめだ〜 熊を脅かしちゃ 可愛そうにあんな崖を逃げてったけど 落ちたら死んじゃうよ」 もしかしたら遭うと予感して遭った所為か、あるいは3人いるのでその後は そんな事は気にせず滝まで交代で釣った。 さすがに右の支流には誰も行かないが、、、、、 さてその次は熊で有名な(野生の話ではなく飼育されている)群馬の宝川温泉での事である。 あるメーカーにRODのデザインを頼まれ試作を持って、そこの部長と社員、そしてかりんとう屋の Hと4人でゲート近くまで行って釣りをしていたときの事である。 林道でメーカーの二人を見学させながら釣りあがって間もなく右の岩陰を攻めていた Hの足が止まり 体が硬直した。近づく私に、人差し指を口にあて静かにと合図した。 構わず近づいて Hに並ぶと その先僅か5m位のところに熊がじっとしてこちらを見てた。 私は、Hに後ずさりを促し、ずーっと下がってから林道に出て車に戻った。 驚いた事にメーカーの二人は車の中にいた。そしてまさに鎮座していた。 しかも、ドアをロックしている。 私が糺すと何となく熊が出そうな気配がしたというのである。 都会の2人にそんな気配が感じられたのは信じられないが、ロックはしなくてもいいだろうと言い 熊が車の取っ手をはねてあける訳は無いだろうと付け足して溜飲をさげた。 その後、渓流で H と一緒に行った2人が熊に遭った。 H 自身は朝4時から、かりんとうをこねて作る仕事のその臭いが要因してるのだろうと思いこみ 今は湖と本流以外の釣りは一切していない。 -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- バタバタ茶 write .13 Jan 2005 -------------------------------------------------------------------------------- 富山県の朝日町に小川という川があり、今みたいにサクラマスがブームになる以前にサクラマスが釣れたとがある。 上小川橋上の荒戸谷に仲間を2人案内し、自身は蛭谷の集落をすり抜けて本流に向かって歩いた。 うららかな初夏の陽気にあせる気持ちを抑えてのんびりと歩いて、とある家の縁側に差し掛かったとき 中から奇妙な響きが聞こえた。 「シャカシャカ、、、、ガタガタ、、バシャバシャ、、パタパタ」 開け放たれた縁から覗いて見ると7、8人の夫人が円座に座り片手にお椀を抱え、片手で茶筅らしきものを しきりに動かしていた。 思わず、何をしてるか聞いてしまったことが間違いの始まりである。 裏の縁側から家に上げられ、その奇妙な輪に入れられてしまった。 そしてあろうことか、みんなと同じお椀と、二つに割れた不思議な茶筅を渡され、そこに黒茶とか言うものの煎じ汁を 入れられ、さらに一掴みの塩を入れかき混ぜる。 適当なところですぐに飲もうとすると、みんなにまだ早いと窘められてまた続ける。 「バタバタ、シャカシャカ」 漬物やお菓子を出され、どこから来たのか根掘り葉掘り聞かれ逃げる事もままならない。 熟女と婆の餌食になっている状態である。 早く、釣りをしたいが丁重におもてなしを受けてるのである。 見ず知らずの私に楽しく接してくれているので席を立つタイミングが難しい。 そんな時、川のほうに車が止まり釣り人が2人降りるのが見えた。 これで私も覚悟が決まった。 「バタバタ、、パタパタ」 いや、バタバタしても始まらない! それから何年かして朝日町の自動販売機でお茶を求めたとき、そこに缶に入ってバタバタ茶が売られていた。 懐かしい思いで迷わず買った。 そして、そのお茶のことを知ってる自分が嬉しくなった。 -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- 釣師根性 write .16 Jan 2005 -------------------------------------------------------------------------------- 奈良県上北山村は、アマゴ釣りのメッカである。泉沢など一部に岩魚がいるが場所によっては保護されている。 大峰山脈と大台ケ原の狭間の国道の奥にあるその村は、その先の下北山村を越えればそこは紀州である。 吉野上市から登って来て伯母峰トンネルを越えると分水嶺でその水は熊野川を経て太平洋にと注がれる。 大阪、奈良から来ると手前にある吉野川の本支流を攻めきってしまうと、さらに想いは奥へと募っていくのは 釣り人の心情だろう。中奥川や北股川に足繁く通いながら、いつも心は上北山村とその先の下北山村へと 飛んでいた。 念願の初釣行は、上北山村内の旅館に泊まりその翌日になった。 その夜旅館には4組の釣り人9人がいて食卓は一緒だった。 主人を囲み酒宴は夜半まで続き、朝の釣の話になったときに、そこに遊びに来ていた村人が 北山川支流の奥玉出合のすぐ上の滝で1週間ほど前に釣り人が滑落死した話をした。 その場にいた釣り人たちは多少酔いが醒めたのか、その話に真剣に聞き入った。 そして誰かがそれは気持ち悪い話だから明日は奥玉谷は止そうと言った。 他の者もそれでは本流か、株谷か,一谷にしようということになり、私の相棒も少し遠いが 小橡川にしようといって酒宴はお開きになった。 翌朝、頭の芯にまだ酔いを感じながら眼を覚ますと、いそいそと釣支度を整えて車に乗った。 相棒の車の方向は小橡ではなく北山川沿いに登った。 どうしたのかと訪ねると、みんな人が死んだばかりの気持ち悪いところを避けると 言ってたので奥玉は狙い目だと言った。 そして、アマゴ銀座と呼ばれる吉野はもとよりこの辺りでは、釣れるか釣れないは腕より前に 作戦であり、人を回避する事だと付け足した。 それは私も当然だと思った。 奥玉出合近くの道に車を止めて、まだ明け切らない薄暗い岸を行くと前方に人影があった。 気が付くと後ろから2人。 そして後方にヘッドライトが光り車が1台止まった。 すべてが昨夜の旅館の釣り人たちだ。 みんな、誰一人脱落することなく釣師根性を見せつけた朝だった。 -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- ゴイ鷺の川 write 29 Jan 2005 -------------------------------------------------------------------------------- 新潟県の三条の街中に加茂川という川が流れてる。名前は京都を彷彿させるが、実際に下流の辺りで 川は開け、流れはせせらぎ、護岸の両岸に昔ながらの家並みの続く場所ではそんな感じである。 上流に市民の憩いの場所になる小さなダムがあり、桜の時期になると人は集まるらしい。 信濃川の支流は殆ど見て回ったが、最も下流部の支流であるこの川だけは残っていた。 情報も無く、ただ地図を頼りに川沿いに車を走らせた。最初に水源池の下の長瀬神社の横で ロッドを振った。古い石積みの両岸の間に樹々が覆い被さり、流れも細いが渓相はいい。 23cmくらいだが岩魚が何匹か出た所で、右の支流に入った。 此処も岩魚で道の無い川の奥では尺くらいのが釣れた。 偵察の役目は充分済んだように思えるがそうではない。殆どの川では細流の源流部では それなりに魚にあえるからであり、問題は中流部や里はずれにいるかいないかが私には重要だった。 細流や一般にフライロッドで攻めづらいボサには必ずや渓魚はいたし、自らが順応すべく技術をあげ 対処して釣ってきて、目星を付けた川の9割ほどが釣れた。 長瀬神社の1kmくらい下流は最初にやってみたが反応はなく大きな鯉が何匹か泳いでいただけだった。 同行の青木君と私は、上流のボサや源流に魚がいたことでは何の感動もなく、ボウズのような気分でいた。 お互いに「たいした事無いね」と呟きながら帰路についた。 長瀬神社からどのぐらい下ったかは定かでないが、町に向かいまっぐ伸びた道の途中で車の左手から 大きなゴイ鷺が目前を横切った。距離にして5m位、高さは2m位のところだった。 そのゴイ鷺の足には尺近い魚がさげられて、パーマークがはっきりと見てとれた。 2人はそれについて会話をすることもなく、車はそのゴイ鷺が飛び立ったと思われる河原の方へと左折した。 小さな農小屋があり間違いなくその辺りからゴイ鷺は飛び立ったと思われた。 河原に車を止めて上流を見ると、適当に石があり葦もある好ポイントだった。 一投目から28cmのヤマメが釣れた。尺が1匹、殆どが26cm前後の良型である。 二人で7匹くらい釣って車に戻った。 帰路、眼は鯉のいた辺りの川を見つめながらも、目前を横切ったゴイ鷺の残像が脳裏にあった。 -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- トンビに山女魚 write 10.March 2005 -------------------------------------------------------------------------------- ゴールデンウィークの富山の川での釣りの出来事である。ほとんど田んぼの中の水路といった川で皆で遊んでいた 陽光うららかな昼下がりのことである。 藻が多く、田んぼの掻き代で白濁した深い流れではドライには反応しない。 ニンフに変えて護岸の岸からさぐってみる。最初はD氏にHITした。当時キープ派のD氏は釣ってすぐに土手の叢に 28cmくらいの山女魚を引き上げた。そして、それをそのままにして2匹目にトライしようとしたその時だった。 どこからとなく現れたトンビがバサッと羽音を響かせたと思うと同時に両の足で、その山女魚を掴んで飛び去った。 初めての体験と一瞬の出来事で Dは暫し呆然としていたし、端で見ていた私さえも何がなんだか理解には 時間がかかった。 私は、上流で釣っていたT氏に、興奮を抑えきれないままにその一部始終をまくしたてた。 それを聞いていたTのロッドがしなった。 彼の頭上で低く飛んでいたトンビが臨戦態勢に入った。 Dは水面近くに釣った魚を放り投げた。 だが、めがけてきたトンビが魚を取らずにUターンしたのである。 2回、3回と魚を釣っては同じ行動を繰り返す Tの後をしばらくついてきたトンビが消えた。 Tは言った。 「やはり、ウグイは食べないや」 実際のその光景を目の当たりにした私もうなずいた。 その直後、私は Dのところに戻り釣果を尋ねたが、まだ先ほどの興奮から覚めずに集中出来ないで いるとの答えだった。 落ち着きを取り戻した頃、ポイントを指示するとすぐにニンフのマーカーが上流に走った。 合わせると重い手ごたえで魚が走った。 本日2匹目の見事な尺近い山女魚だった。 その時だった。 寄せに四苦八苦している彼と、傍らにいる私の目に対岸の田んぼの一枚向こうの畦に潜んで いるトンビの首を伸ばした姿が見えた。 そして、彼が取り込もうとしたその時に大きな翼は開いた。 続いて、Dが強引に山女魚を抜いた瞬間にこちらに向かって羽ばたいた。 私は一瞬Dを見た。 彼は胸元の魚篭の蓋を開け、ティペットもフライも付いた状態でそこに魚を押し込んだ。 電光石火の早わざだった。 彼はそれらの一連の動作のあとに誇らしげに目でトンビを追っていた。 トンビは再び田んぼに戻った。 それを確認したDは勝ち誇った顔をした。 しかし果たしてそうだったのか? 一勝一敗のこの勝負。 我々人間に与えた大きな印象を思うと完全にトンビの勝利であった。 -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- 田んぼの尺級やまめ write 8.July 2005 -------------------------------------------------------------------------------- 最初の出来事は長野県の相木川のことである。連れを車に待たして夕まずめにチョットいい魚を釣ろうと 南相木川の中島の集落の上の流れに入った。しかし、日曜日の夕方なので、恐らくは日中に場荒れして いるのか魚の出は悪い。チョツトのつもりが苦戦を強いられて何とか27cmのアマゴを釣ったときには 辺りは暗くなっていた。車に戻ったときに、その傍らで連れがクーラーに水を溜めてその中の魚を見せた。 ゆうに尺は越えた大きさの岩魚である。釣り竿も持たない軽装の状態で魚を手に入れたのである。 そのなりゆきを聞くと、田んぼに水を引く水路であった。そして田んぼの曲がり角に沿って分配するところで 一段深くなって四角い箱が入ってる場所へと案内した。ごみなどが溜まっても塞がらないように掘り下げた その場所に川から引かれた水路を伝って魚がいたのである。 この現実は、この出来事のすぐあとに群馬県の沼田の薄根川でも、やはり連れが尺やまめを手にする事で よくありうることなのだと思い知った。 そんな事があったあとの翌年の春、群馬の小さな川に初心者を連れて行ったときに、彼らがまあまあの 釣りが出来たせいもあったのか、そのうちの一人が 「魚はどこにでもいるんですね〜」と発したので 私はつい調子に乗って田んぼの畦の幅50cmほどの水路を指差した。 フライフィッシングに関しては完全な無垢である彼はためらいもなく水路に足を入れたので私は思わず言った。 「入るほどの幅じゃないだろ、跨いだら」 彼は素直に聞いて跨ぐと、上流に向かってFLYを投入した。 3投目のとき魚が出た。18cmくらいだがヤマメである。 この話は、私も含めて受け継がれ{語り草に}なり、フライフィッシング仲間の脳裏に残る事になった。 その後、私はチーコ氏が長野の川の田んぼ用の水路でアマゴを釣ったのを見た。 古くからの知り合いで餌釣りからフライフィッシングに転向した丸さんという人がいるが、彼は当初自分流で フライにトライして2年ほどしてから私の門扉を開いた。 聞けば、20cmのヤマメや岩魚がまれに釣れるだけの2年間のフライ遍歴であったとのことである。 ではと、魚はどこにでもいるのだということを側溝の流れや、ボサの場所で身をもって体験していただいたのだが 実はこれがいけない。 そういう体験をした人間はみんな運転しながら余所見をするのである。 街や山を問わず、小さな橋を渡るたびに覗くのであるから横にいるものハラハラものである。 小さな川ほど魚がいるのは彼には身をもって解っていただいたが、ついでに田んぼの水路の話もしてしまった。 その後、山形の山郷の川で丸さんと釣りをした。 小さな川で誰も振り向かないような道沿いの集落の中で釣りをしたが、殆どが25cm以上の立派なヤマメや 岩魚が釣れた。 そろそろ予定の時間になり、上流に行った丸さんと別れていたので2人の仲間と車に戻った。 車は集落の中の空き地に止めてあったが、まだ丸さんの姿は見えない。 遅いなぁと思いながら周りを見たとき、集落のはずれの田んぼの畦の水路の角に丸山さんがいた。 地面から離れて四角い穴に向かってフライロッドで真剣に狙ってるのである。 近所の伯母さんが二人笑いながら見てた。 自転車の子供が止まって振り返った。 水路の話をした私も、場所が集落の中だけに少し恥ずかしくなりあわてて静止した。 この話をしたこともなく、事情の知らない仲間たちはただただ訝しがって見ていた。 -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- 老人の言葉は重い write 13.Jan 2006 -------------------------------------------------------------------------------- 3年ほどのフライフィッシングのキャリアを持つ加藤君とその仲間にアマゴの釣れる川はないかと聞かれ、その昔 ホームグランドにしていた長野県の抜井川を教えた。 間髪いれずに、その抜井川に行ってきた彼らが、帰ってくるなり口を揃えて言った。 スレていて早い。出てきても合わない。 魚は20回ほどフライに出たがことごとく合わない。つまり惨敗であり、あんな早い出方の魚たちに会ったことは ないとまくし立てた。 時期が夏の盛りである事、釣り人が集中する川であることから私も確かにこの時期は大変であると思ったが それほどのアタックがありながら1匹もフッキングしないのは信じられなかったので思わずそれは可笑しいと言うと 二人は来週に一緒に行って私の釣りを見せて欲しいと嘆願してきた。 2人ともフライフィッシングの腕はなかなかのものであり、如何にアマゴへの挑戦が初めてとはいえ彼らが釣れないと なると、さすがにかってのホームグランドとは言え、私の脳裏には時代の変遷が状況の難しい抜井川に 変わったのだろうと危惧させた。 雑誌や本に紹介も頻繁にされてるところからも一筋縄ではいかない気がしてきた。 そしてその思いはさらに誇張して、もしも来週彼らの前で釣れなかったらどうしようと言う気持ちになり少し狼狽もし た。 今思えば滑稽な話だが、気合を入れるべく、近くの釣具屋で鮎師の使う菅笠の 布製のと白の手っ甲きゃはんを買い求めた。さらに呉服屋で濃緑の甚平を手に入れた。 白の手っ甲きゃはんには、マジックの黒で左に「おーびす」右手に「はーでぃ」とひらがなで書いた。 菅笠にも六根清浄と書き足した。 その出で立ちは、一見「柳生重兵衛」のようであり、気合を入れるには充分であった。 周りの眼や時代錯誤さえ気にしなければ、、、 7月の暑い昼下がり3人で抜井川に着いた。 二人に先週入渓した場所を確かめて、まずはそこから入った。 先行者の気配もあったがあとには引けない。 この川こそは「昔取ったきねづか」であり大きな石の一つ一つが脳裏に過去と重なっていく。 3投目の時に最初の1匹が出た。23cmのアマゴだった。 間もなく上流から戻ってきた2人組みが土手を降りてきて、釣れたのにびっくりした様子で その魚は先ほど彼らに出てきたのだが合わせ損なったのだとまくし立てた。 そして私の出で立ちにびっくりして「テンカラ」の釣り人だったと思ったと付け加えた。 前回、惨敗した二人が後ろについて私の一挙一動を眼を凝らして見守っている。ここで彼らの相手をしている 場合ではない。軽く会釈して次のポイントを流す。 空中ジャンプで出た。刹那にこれは取れないなという思いがよぎったが運良く合った。 加藤君がそれを見て素っ頓狂な驚きの声を上げた。 そんな調子で8匹を連続して、合わせそこないもないところで優位に立った私は彼らにあらためて釣りを指導した。 フライに出た魚全部は無理だったが2匹づづ釣り、前回の溜飲を下げたみたいである。 その後、一番難しいといわれる「古谷」の集落前の平瀬の続く場所に移動した。 入渓者も多いだけでなく、チャラ瀬などの魚はフライラインが水に着くだけで逃げてしまう処である。 二人は岸から見てるということなので、下流に回りナローなループを解きながら#16番のソラックスを 浅瀬にソフトに着水させる。 間もなく一匹。25cmはあった。 その時だった。 岸にいるの2人の道を挟んだ向こうに畑がある。その畑で作業をしていた老人が一輪車を投げるように ひっくり返すと勢いよく駆けて来て2人に声をかけた。 釣りが好きらしく 「骨のある釣師を初めて見た!カッコウも凄いなどとまくし立ててるのが聞こえた。」 彼らも私のことを褒めながらあいづちをうっていた。 しかし、その声を耳にしながら彼らの前を横切りその上の瀬を狙ったときの事である。 私は川幅もあったので真ん中に立ち対岸を攻めた。 するどいラインの弧が岸の樹の下にほどけていく。 魚は出なかったが老人の声がした。 「凄い!」 だが、間もなく気を取り直したかのように付け足した。耳に聞こえてきたのは 「あれじゃ駄目だ、あんなに川の中を歩いてるようじゃ、岸からじゃなきゃ。」 それが聞こえたとき、私の足は無意識に岸の川原に上がっていた。 相手が如何なる腕の持ち主か知らざるところだが、地元の釣師の老人である。 その言葉の重さに、考えることも逆らう気持ちも湧かず無意識に岸を歩いている自分がそこにいた。 補足 餌の釣り人はFFの人達が川に入ることを嫌うが、あとから攻める人のことを考えると それも納得できる。しかし、普通のフライロッドの機能や長さを考えるとそれもやむをえないのは現状である。 ただ、魚は岸から攻めるほうが気づかれないと思うでしょうが実はとんでもない事です。 長い経験で言いますと岸の小砂利や石の音など、おそらくはそれらの振動の方が詳しくは解りませんが 魚の(体側線で感知?)などに敏感に察しられるのか、逃げるのが多いのです。 下流から歩くのは、魚より下に流れる水の中ですから伝わるものは何もない筈です。 ある程度の流れならすべては掻き消されるのです。 但し、影が見えるところまで近づいてはもともこもありませんが、それでも上流を向いている魚に対しては 横に立つよりはさらに近づいても逃げないものです。このエッセーに登場する老人も古典的な餌釣師ですから その辺のセオリーが踏襲されていての発言なのでしょう。岸から魚に接するか、流れに掻き消されるべく 下流から攻めるか、魚の動向を確かめながらご自身の眼で、足で、よく観察してみてください。 -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- 悠久の再会 write 18.July 2006 -------------------------------------------------------------------------------- 暫く、休んでいた「よもやま話も」も、この度の7月16日にみちのくの遠野に釣行して、ある老人に再会し 心情を吐露せざるを得ない想いにかられ、その一部始終をしたためてみました。 もう何年程前なのか記憶は定かではないが、その老人と最初に会ったのはおそらくは7年も前のことだと思う。 岩手の遠野の猿ヶ石川の支流で、かなりの暴れ川での釣りの時である。 猿ヶ石川の合流から上流に向かい、最後の集落になる家が5軒ほど固まった辺りの川を釣り上がり、車への 帰路を歩いていたとき、気のよさそうな老人が近づいてきた。挨拶をすると道の上から私の釣りを見ていたことを 告げられた。そして、増水の川をこのスピードで釣りあがる人間は見たことがないとも付け加えた。 私は、「釣りの欲が深いので、眼先に良いポイントが見えると足早になるのだ」と答えた。 この日がこの川の初釣行では無かったが、この日は40cmの岩魚を筆頭に35cmほどのヤマメも釣れた。 そしてそのやり取りも老人は見ていたらしく、毛ばりの事を聞いてきた。 釣りもやるらしく、そのやり方は3間ほどの竿の先に1mほどのテグスを付けフライを結んでるのだと言う。 但し、フライは時々、息子が里帰りの折に買ってきたものを使うのだが、釣果はあまり芳しくないと言った。 その話を聞いてしまった私は、フライボックスから視認性の良いものを10本選び手渡した。しかし、ドライフライで あるので、浮力材のことを老人に確かめると、そんなものは使ったことはないと答えられた。 私も予備の持ち合わせが無く、思わず「オロナイン軟膏」か農機具用のグリス、あるいは「てんぷら油」など 試して、浮くもので釣りをしてくれと告げて別れた。 それから、その川には殆ど毎年のように通うが、その老人に合う事も無く気にも留めなくなった。 しかし、この度の山崎君との釣行でその川に向かう道すがらの車中で、何故かその老人の話をした。 そしてそれは大分昔のことであり、その後会っていないことと、その年齢を考えても、おそらくその老人は 他界しているだろうとも付け加えた。 そして、いつものように遡行の厳しい川に降り立った。 山崎君の足は攣り、さすがの険しさに四苦八苦していたのがわかった。 すべてが、そういう場所ばかりではないし、長い餌竿なら道から狙えるところも多いのだが、川には入っての 遡行となると、強い流れと大石が間単に足を運ばせてはくれないのである。 ただ、良型が出るので試練だと思い、私はこの川に通うのである。 二人で釣り登りながらガードレールのある護岸の端に来たとき、ガードレールに寄りかかって親しげにこちらを 見る老人の顔をが見えた。 私は、山崎君に一人で釣り上がる様に言い残し、護岸の先の樹のあるところに掴ってよじ登り、道に出た。 私にとって悠久の時が流れた今だが、顔は覚えていた。そしてそれは向こうも同じであるらしく、開口一番 私が提供したフライで尺物を釣った事。そして樹木に取られて今では1本も持っていないことを告げてきた。 また、この川には釣り師の車が止まる度に覗くがフライフィッシャーが少ないこと。そしてお前さんのように 迫力のある川歩きをする人間がいなかったことなどを付け足して、今日は川を覗いたら、ガンガン釣り登るのを見て もしかしてという気がして、我々が樹間を抜け、道沿いに来るところで待ち構えていたというのである。 私は、長い年月を一日千秋の想いでいてくれたこと、私のこと、顔を忘れないでいたことに敬服し、そして感動した。 しかし、毎年来ていたことと、老人の家が5軒の家のどこか分からず、行きたくても行けない気持ちを告げた。 齢は確かに重ねてはいるが、久々に会っても釣りへの執念は変わらない。 また、山で鍛えた体は相変わらずに頑強そうに見える。 そして何より、生きていた事、覚えていてくれた事が私にはとてもうれしかった。 今度は、山崎君が持っていた液状のフロータントを与え、10本ほどのドライフライを渡した。 そして、又来たときにこちらからフライを持って行けるように家も確かめた。 両手に嬉しそうにフライとフロータントを抱えて老人が言った。 「家で、ビールっこさ 飲んでけばさ」 私が要らないと答えると、おばあさんが家の中から出てきて ロング缶のビールを2本、老人に手渡した。 その場には、釣りから上がった山崎君もいた。 私はありがたく受け取り、帰路に着いた。 また会えることを祈って。 -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- 魚に助けられた命 write 12.dec 2006 -------------------------------------------------------------------------------- この話は、フライフィッシングではないが、魚釣りにまつわった事実であり、こうして生きているのも、この ことがあって助かったからである。 もう、30年も前のことである。その頃は大阪の郊外に住んでいて、渓流はテンカラと餌で奈良の吉野川水系と 兵庫県や滋賀県に足繁く通っていた。ただこれらの渓流釣りと平行して近隣の野池などで鯉やへら鮒釣りにも 没頭していた。大阪の富田林市の南東に太子町と言うのがあり、聖徳太子御廟所、あるいは用明天皇陵などの 古墳群があるところである。また、大阪芸術大学も近く、当時は新興住宅地としても開かれ丘陵のあちこちに 新しい家が建っていた。 鯉の釣れる野池もその一角にあり、道を挟んで林側にひとつ、住宅側にひとつあり この事件のあった前日は雨だったが、遅くまで遊んで暗くなってから帰路に着いた。池を挟む道を下ろうとした とき、住宅側の池から林側の池へと雨に打たれながら、うなぎがくねくねとうねりながら渡るのを見た。 想像もしない出来事に唖然としたが、自然界の知らない部分を垣間見た思いだった。 この雨の夜の翌日の午後、再びここに向かい、野池の住宅側に陣取った。背中は崖でその少し上に住宅地の 道路があり、その道路の向こう側に住宅が幾つか建っている。この日の釣りには連れがいた。当時の私の 義父になる、その連れは朴訥で何をするにも生真面目だった。私は住宅側の池のかけ上がりに竿掛けをセット して、小さな折りたたみのパイプ椅子に腰掛けて11尺の竿で仕掛けを投入した。義父は対岸の真正面に座り 二人の釣りは始まった。 対岸までは池沿いに50m位だろうか、間もなく義父が駆け寄ってきて、自分のポイントの方に来いと言った。 未だ一匹も釣ってないので少し億劫だったが、義父である立場もあって従った。歩きながら尋ねると、鯉が 水面にいっぱい顔を出してるとのことだった。 私の方にはそんなこともないので訝りながらその場所に行くと岸寄りの水面に口をパクパクさせながら 50匹以上の鯉がいた。 義父は「まるで鯉が笑ってるみたいだ」と言った。 暫し、見とれていると水面が盛り上がった。同時に対岸のちょうど私のいたところの崖が崩れて土砂が、池の 中に次々になだれ込んだ。道路のガードレールも曲がって岸際まで落ち、一軒の2階建ての家が殆ど斜めに 傾いて、もう一度崩れたなら間違いなく池に落ち |